湘南つなぐ鍼治療院

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2020/04/14院長のこと

太田の育ち方

前回は、湘南つなぐ鍼灸接骨院の想いについて記事を書きましたが、今回は太田の経緯について2回に分けて書いてみます。

1回目は太田の小学校から高校を卒業するまでです。

別に太田に興味ないよーという意見もありますが、どうか温かい目でご覧ください。

典型的な末っ子

次男坊で消防士だった親父と、パート主婦の母、そして1つ上の兄貴の4人家族の中で育った太田は、末っ子気質なのか、ただ単純に人の目を惹きたい性格なのか、いつもお兄ちゃんをライバル視する幼少期を過ごしていました!!

運動大好き少年が大病に罹る

茅ヶ崎市の北に位置する赤羽根山の麓で生まれ育ち、運動することが大好きで、家でゲームをした記憶は殆どありません。

小学校2年生のときににネフローゼ症候群という病気で4ヶ月間の入院生活を送り、完全に運動制限がなくなったのは小学校6年生で、なんと4年の月日を要しました。

当時、茅ヶ崎の市立病院へ入院したあと、東京大学の付属病院へと転院し、子供ながらに不安な日々を過ごしていました。
ネフローゼ症候群になり、ステロイド投与の副作用でステロイド性の緑内障と白内障を併発。
※現在はステロイドを服用していないので進行しておらず、経過観察中です。

※元気が売りの太田ですが、意外な過去を持っております!

野球からバスケットへ

病気になる前から取り組んでいた野球は、運動制限がある中でも続けていましたが、「太田の弟」と言われ、1つ上の兄貴と比較されることに自分自身が負けてしまい、小学校5年生のラストの時期にバスケットがやりたいと直訴。

何故、いきなりバスケットなのかと言うと、小学校の体育の授業でバスケットがあったり、NBAのマイケルジョーダン率いるシカゴブルズが全盛期だったり、バスケットボールを始めたキッカケとなったスラムダンクに憧れていまことも大きいです。

将来の夢が見つかった

少年時代に大病をしましたが、その後は寛解して、大好きな運動もできるようになり、結果も出せるようになった順風満帆のバスケット生活。

中学校3年生になった頃には、バスケットの強い高校へ推薦で行きたいと考えていましたが、夏の大会前の練習中に右足関節を捻り負傷。
顧問の先生がいろいろな方に相談して下さり、茅ヶ崎で有名な接骨院の先生を紹介してくれました。
先生の施術のお陰で無事に大会に出場。結果、高校へはバスケット推薦で進学できましたが、この頃から、将来接骨院の先生になりたいと考え始めました。

画像1

※同時の写真を見ると、全て無表情というか、スカしているというか、、、

挫折と経験

高校時代のタイムスケジュールは、、、

4:50起床
5:40家を出る
6:03電車に乗る
7:30朝練開始
20:30部活を終えて、学校を出る
22:00帰宅
23:00就寝

この繰り返しで、とにかくバスケット一色。
高校での学びが自分の人生の中で、大きな学びとなりました。

小学校や中学校時代は、変な所が真面目で、、、

正義感が強いというか、、、

柔軟性に欠けているというか、、、

冗談が分からないというか、、、

真面目ぶってつまらないタイプでした。

高校3年生になって、部活のキャプテンになり、チームを率いて頑張ろうと思ったのですが、上記のような性格につきチームメンバーとうまくいかず、自らキャプテンを降りました。
スポーツ推薦で学校に進学している以上、退学はせず、なんとか踏ん張りましたが。
キャプテンを降りてから、肩の荷も下りたのか、仲間ともうまく付き合えるようになり、大きな挫折と貴重な経験が得られた高校生活でした。

猛反対されながらの専門学校への進学

高校の部活を引退した後、本気で鍼灸・接骨院の業界を志し、神奈川にある専門学校を受験しようと担任の先生に相談したところ、あまり良い反応でなかったのを今でも覚えています。
理由としては、3年間部活しかしていなく、勉強が手付かずの自然の状態だったことです。

当時、在籍していたスポーツコースでは、指定校推薦での大学進学を勧めており、母校からの卒業生が一人も出ていない専門学校への受験は、あまりにも無茶だという先生の見解でした。

親が先生を説得してくれていたと知ったのは、受験を終え、無事に希望の専門学校に合格してからでした。

 

長い記事を最後までご覧くださりありがとうございました。

次回は、専門学校への入学〜資格を取り、企業に入社してからの思いを書かせていただきます。